ついに初めての外国、フィリピンを去ることになった。
少し名残惜しいが、日本食がひじょ~~に恋しいのではやく帰りたくもある
今日は無償で私の語学学習に付き合ってくれた恩人のビル氏と海に行って黄昏てた。
彼は私の母国 日本の小学校で3年間ほど勤務していたので邦楽もよく知っており、
「ショウにはこの曲を聞かせてあげたい」
と言って森山直太朗の”さくら”を流してくれた。
なんでもよく卒業式の時期に生徒たちが何度も何度も練習していたので、人々の別れの時に流す曲として印象深いらしい。
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気温37度、異国の砂浜で太陽がギラギラと照り付ける中、浜辺に打ち上げられる波の音と聞くこの曲は何だか不思議な感じがしたが途中からピアノ伴奏が入ってきたときに感涙極まり危うく涙するところだったが寸前のところで堪えた。
その後は特別 語るに値することはなく、いつも通りの速さで時間が過ぎ、空港に着いた。
ビル氏も同行してくれ、最後には彼の書いた手紙と絵画を貰い、ハグと握手をして別れた。
飛行機の中で読もうとしたが公衆の場で読むのはいささか危険(涙腺的に)であるように思われたのでやめておいた。
あまり記事の中ではビル氏のことは書いてなかったが、滞在中にほかの人達とは比べらないほど言葉を交わした。近年活動が活発になっている宗教問題や国際経済、難民政策など高尚な話をしようと思ったがいずれも語学初心者には勿論無理であり、代わりに好きな女優やアニメ、そして彼の貞操問題などの談義に花を咲かせていた毎晩が懐かしい。
夜店の市場や秘密の浜辺、彼の母校の探索など様々なことを企画してくれたのも彼であるので一か月くらいの短い期間であったが非常に親睦が深まった。まさかこれほど別れが惜しくなるとは。
ありがとうビル。
またいつか会いに行くだろう。