客観性や統計
が過剰な力を持っているとされている現代。統計や数値はたしかに正しいもんだけど、それを盲目的に信じるのはどうか?とも思う。そういえばこの前、バイト先の学童で、
「それってあなたの感想ですよね?」
と絶妙にイラっとさせる言葉(2022年度の流行語ランキング1位)で先生から呆れられていた小学5年生がいた。その子は友達が少ないので、子供ながらに大人を困惑させたり、言い負かして(≠論破)注目を得ようと思ったのかな。悲しい。やんわり注意しておいたが聞く耳を持たないので、このまま順調に友達を失ってから後悔して学んでほしいところ。
ただ、大人でも客観的に物事を判別するのがクレバーでカッコイイ的な価値観が強くなっている気がする。だせぇ。筆者の友人(26歳)のネトウヨのSくんもTwitter(現X)で、言い方は違えど「それってあなたの感想ですよね?」的なクソリプと元気に飛ばして喜んでるよ。
というワケで、「なんだかなぁ…」と思ってる矢先に目に入ったのが表題の通り「客観性の落とし穴」という本だ。
第一章と第二章では、私たち一人ひとりの生きづらさの背景に、客観性への過度の信頼があることを指摘した。自然も社会も心も客観化され、内側からイキイキと生きられた経験の価値が減っていき、だんだんと生きづらくなっている。
第三章と第四章では、数値が過剰に力を持った世界において、人々が競争に追いやられる様子を描いた。数値に支配された世界は、科学的な妥当性の名のもとに一人ひとりの個別性が消える社会であり、会社や国家のために人間の個別性が消されて歯車になる世界だった。序列化された世界は、有用性・経済性で価値が測られる世界でもある。弱い立場に置かれた人達は容易に排除され、マジョリティからは見えなくされ、場合によっては生存を脅かされる。
引用:第8章「競争から脱却したときに見えてくる背景」
今回は「客観性の落とし穴」という本について、僕が感じた魅力を全部まとめていく。個人的な感情や主観の重要さを再確認したい方には超おすすめ。あ、上のように、記事本文では随所にネタバレや本文の引用もあるので、気になる方はここらでブラウザバックしてね。
もくじ
客観性の落とし穴
面白かったポイント
「その意見って、客観的な妥当性がありますか?」
この感覚が普通になったのは、社会の動きや人の気持ちを測定できるように数値化していったせいではないか。それによって失われたものを救い出す。
まずは、筆者が感じた「客観性の落とし穴」のポイントを紹介していくぞ。
目次
- 第1章 客観性が真理となった時代
- 第2章 社会と心の客観化
- 第3章 数字が支配する世界
- 第4章 社会の役に立つことを強制される
- 第5章 経験を言葉にする
- 第6章 偶然とリズム―経験の時間について
- 第7章 生き生きとした経験をつかまえる哲学
- 第8章 競争から脱却したときに見えてくる風景
という目次からなる「客観性の落とし穴」。
1章から4章では、客観性の根っことも言うべき「数値」によって、いかに個人・個性が排除されるかについて。第5章以降は、それらに蔑ろにさせないための心構えや、生々しい個人的な経験の保存方法、抽出方法などについて学べた。特に5章、6章は文章の勉強としても面白かった。
ハッとさせられる著者の見解
幸福が善であること。それぞれの人の幸福はそれぞれの人にとって善であること、それゆえ、社会全般の幸福がすべての人々からなる全体によっては善である。
という「最大多数の最大幸福」という功利主義に対して、著者の村上さんは
幸福が善であることは私も否定しない。しかし「社会全体の幸福がすべての人々からなる全体にとって善」とミルがいうとき、排除されたり抑圧されたりする少数の人への配慮が欠けるのではないか、という点が気になるのだ。
と述べている。これに対して僕は、
そんなこと言ってたら社会が上手く回らないのでは…?
と恥ずかしくも思っちゃってたんだけど、良く考えたらおかしい。国事を決定する権力者のような視点からモノを申しているような生意気さを我ながら感じる。分かったように統治者のように考えるのが気持ちいいのである。
そうではなく、
自分がどうしたいか?どう考えるか?
と今一度、主観、自分の気持ちに従って生きる方に向いていきたい。マイノリティになったときに切り捨てられる社会、これはどう考えても自分にとって住み心地の良い社会じゃないし、安心もできない。配慮というか、想像力が欠けている。自分がマイノリティになるわけがないという驕りも感じる。
税金だとかデカい問題は置いといて、やっぱり他人を信頼したり配慮できるくらいの余裕を持って生きていたいな。
とはいえ疑問点もあった
様々な意見や考え方に触れられて、自分なりに疑問点を持ったり、新しい視点を見つけられるのが良い本の要素だと思う。という点では「客観性の落とし穴」も、とっても良い本だった。
たとえば以下の文。
自分では健康のために節制しているつもりでも、実はこれは国家の意志を内面化したものだというのだ。さらには、自ら健康でいることは、労働者として国家の役に立つという点でも、支配する側にとってとても都合がよいのである。つまり他の人と数値を競い合うのも自分の数値を気にするのも、国家の役に立つという基準があるのだ。
第4章の「セルフケアも国家の都合」という項で出てきた文章なんだけど、さすがに国家を敵視しすぎだと思った。超個人的に考えても、不健康よりは健康でいたいし、数値があるならそれを参考にするし。
それを「社会全体の利益のための健康増進」なんて考えは、いささか国を敵視しすぎてる気がする。国家権力への不信感からか?セルフケアは国家の都合でもあるんだろうけど、同時に個人の都合も満たしてるだけな気がするぜ。
客観≠真理
客観視は真理ではない
ということが強く理解できた作品だった。
客観的なデータや数値ってのは、やっぱりどうしてもクールだし真実性を見ることができる重要事項にも思える。模試の結果でE判定が出ると絶望的な気分になるし、就職先の倍率が100を超えると応募する気力が消し飛ぶ。
実際にそうなのかもしれないけど、それらの数値によって意思が削がれる、不安感が煽られるというのが問題かもしれない。データや数値、偏差値はある程度は参考すべきものにせよ、絶対じゃないことは留意しておきたい。というか、恣意的な使われ方をすることも往々にしてあることを理解すべき。
恣意的に使われることもある客観性
パッと思い浮かんだのが、上のような「飲酒量と死亡率の関係」についてのグラフ。ちょっと見ると
へぇ、ほどほどの飲酒が健康に良いんだ…
と思うようにできてるけど、そもそもこのデータには病気で全く酒が飲めなくなった人も含まれていたそうだ。まぁストレスとか色々考えると難しいので「実際の病気と酒の因果関係」についてはまぁ置いておくにしても、データが意図的に使われることがあることは常々考えておくべきだと思った。
客観性の落とし穴
グッときた文章
「客観性の落とし穴」を読んでみて面白かったところや、感銘を受けた一節を備忘録として抜き出しておく。多くなり過ぎたので数を減らしたが、少しでも気になるフレーズがあれば是非、本編を読んでね。
不確実でリスクに満ちた社会
社会の実質が変化して「不確実でリスクに満ちた社会」になったというよりも、数値化されたことで社会や未来がリスクとして認識されるようになった。ともあれ、数値による予測が支配する社会、そして個人に責任が帰される社会は不安に満ちており、社会規範に従順になることこそが合理的なのだ。
引用:第3章「数字が支配する世界」
学童保育でバイトしてたとき
「危ないからやめようね」
と子供をやんわり注意するのが超苦手、というか全然言えなかった。いう必要を感じなかった。
少しくらいケガした方が学ぶでしょ。僕もそうだったし…
と思ってた。他の先生から「注意してくれなきゃ!」を言われたこともあるけど、どうも苦手だった。クラスの中で子供(小学2年生)がジャンプした、というだけで怒っている先生もいてビックリしたのを覚えてる。著者によると、
学校の生活はさまざまな校則でしばられていることが多いが、これらは大人が外部からなにか非難を受けないために、生徒をあらかじめしばりつけるものである。子どものためと見せかけて、大人が自分の不安ゆえに子どもの行動を制限しようとしている。
リスク計算は
自分の身を守るために他者をしばりつける
ものなのだ。
とのこと。
な、な~~るほど。と膝を叩いて合点した。生徒のために、というよりは保護者から言及を受けないようにするための「危ないからやめようね」だったわアレ。
人間の生産性が問われるときの主体
経済的に役に立つかどうか、それは生産性という言葉に置き換えることができる。個人の生産「性」は、他の人との比較において決まる。自分のために作るのなら「生産性」は問われない。そして、その比較を誰がするのかというと、人ではなく組織や国家である。つまり人間の生産性が問われるときの主体は、あくまで組織・国家なのだ。
引用:第4章「社会の役に立つことを強制される」
テストの点数や年収。
他人と自分を比べているとき、自分が誰かと競っているように見えて、実は学校や国家といった顔のない組織によって品定めされている、という文まで含めて19歳くらいの自分に読ませてみたい。
分断を生んでいる側面
「発達障害」という名称を手にしたことで救われる人も少なくないが、安易に「発達障害」というラベルを子どもに貼ることで集団になじめないというレッテルを貼り、「特別支援学級」への移行や、「放課後デイサービス」の利用を勧め、分断を生んでいる側面はないだろうか。クラスになじみにくいのは子ども自身の特性ゆえになのだろうか。管理された大人数の教室が居心地を悪くしていることはないだろうか。
引用:第4章「社会の役に立つことを強制される」
生存権を社会から否定されている障害児
裁判の進行状況をみるとき、私達のねがいや、期待とはうらはらに、高度成長のみを至上とし、人々の生命や意識まで管理しようとする国家権力の手で、現代社会が必要とする生産性脳力を持たない重度障害者を「施設もなく、家庭に対する療育指導もない、生存権を社会から否定されている障害児を殺すのは、やむを得ざる成り行きである」とする一部の親達の意見を利用して抹殺しようとする方向にむかっているのです。
引用:第4章「社会の役に立つことを強制される」
現代の日本でも、新型出生前診断でダウン症などの障害が推定された胎児の90%は人工妊娠中絶で死産されていると言われている。その理由としては「障害を持って生まれる子どもがかわいそう」「育てる自信がない」といったことがあげられる。社会全体として障害を持った人に対する偏見があるゆえに、妊婦をかわいそうと思うらしい。
偏見がなければ、本当に障碍者やマイノリティに優しくなる社会になるのかなぁ?あ、上のマンガは「ブラックジャックによろしく(3巻~4巻)」です。著者が著作権を放棄(?)しているので無料で読めるので是非。傑作と言わざるを得ない、傑作だよ。
経験の強度
私は客観性と対象させて、「経験の生々しさ」という言葉を使っている。数値によって測れるのが物事の特性だ。これに対して、経験の生々しさは、経験の強度にかかわっている。単にモノがそこに存在するだけでは生生しいとはいえない。人がそこで巻き込まれていて、出来事や状況から触発されて、人が応答せざるをえないときに生生しく切迫する。
引用:第5章「経験を言葉にする」
第6章では、著者がヤングケアラーや看護師などにインタビューした記録が書かれている。できるだけ手直しをせずに、言葉そのままを乗せているので読みづらいと思いきや、これ以上ないくらいに感情を刺激される。ぎくしゃくした語りにこそ切迫感や生生しさが現れるのかもしれない。
患者は「ちょっとずつ」「だんだん」衰えていくのを体感として内側から感じる。同時にどこかわからないて他所から「どんどんどんどん」死が近づいてくる。そのような患者の感覚は看護師であるCさんが「じっくりじっくり」聞き取る中で際立ってくる。
引用:第6章「偶然とリズム」
経験の重さは言葉にならないものであり、それゆえに不完全にでも語ることを通して私たちは経験の生々しさに対して応答しようとする。不合理で意味を持たない現実に対して、かりそめにせよ意味を与えることで生き延びる試みが物語るという営み。即興の切実な語りを丁寧に分析していくとき、偶然の出来事を生き抜くその人固有の「形」がみえてくる。
偶然、個別性のなかにこそ、経験の重さが宿る
一人ひとりの個別の経験は、客観的学問においては切り捨てられるべきものとみなされた。一人ひとりの偶然的でうつろいやすい多様な経験は、まさにそのうつろいやすさゆえに科学において価値を失った。ところが、うつろいやすさや、偶然、個別性のなかにこそ、経験の重さが宿る。客観的な学問によって多くの有益な知が得られるが、だからといって自分の経験の個別性を切り崩す必要はない。
引用:第7章「生き生きとした経験をつかまえるための哲学」
なんとなく前向きな気分になれたのが上の太文字。
なんか、いいよな。
総括:「客観性の落とし穴」
読書レビュー
数字による束縛から脱出する道筋
が随所に示されていた「客観性の落とし穴」だった。
でも客観的にデータを分析するのも大事じゃん
もちろんその通り。
数字や客観性を捨てろってコトじゃない。
問題は客観性だけを真理として信仰するときに経験の価値が切り詰められること。数値において優秀な人間と劣る人間という序列が生まれ、「劣る」とされた人が差別されるとともに、排除されてしまうこと。実際に今、僕がちょっとした生きづらさを感じていることだ。
個人から組織、国家に至るまで、子供から大人にいたるまで、すべて数値で評価されている。しかし、数値に基づいて行動が計画・評価され、価値が決められかねないのは窮屈だ。客観性と数値化だけが真理ではない。
経験を数字へとすり替えたときに生の大事な要素が消え去ってしまうコトの発見にも繋がった良書だった。「客観性の落とし穴」。ブラックジャックによろしく(小児科編)と合わせて読んでいただきたい。
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