少子高齢化に貧困格差、老老介護、芸能人の不倫、Twitterの炎上に血で血を洗うYahooコメント欄など、現在の日本は多くの問題を抱えている。何故だろうか。誰にも正確な答えなんて分からないのかもしれません。「人生は楽しむもの」という考えは一見 正しいけど、自分だけの幸福を追って他人を思いやる心のゆとりのない人生というのは本当に満ち足りたものなのかね?
どうもこんにちは。影響されやすさには定評がある井家です。今日はマザーテレサの生涯について書かれた本を読み終えた僕はいまだに鼻をすすりながら文字をタイプしています。誰か僕の涙をぬぐえ
マザーテレサ。誰しもが一度は耳にしたことがある人物なのではないだろうか。僕もマザーテレサに関する伝記を知人から勧められたときは「あぁ、あの…、名言をたくさん残したおばあちゃんでしょ。オレ知ってるし」という知ったかぶりも甚だしい考えをしてた。過去の僕が恥ずかしいよ、、
皆さんのマザーテレサに関する知識が如何ほどかは存じないが、おそらく詳しくは知っている方、そもそも興味がない方、ナイチンゲールと勘違いしている人(僕でした)なんかもいると思う。多分、諸君が思っている数倍はすごい人だぞ。そんなマザーテレサの博愛っぷりと神さまに捧げた人生について読者が知ってくれて、日常生活での気付きにでもなってくれたら幸いだ。という僕のお節介の元、この記事は書かれてる。
それではマザー・テレサの数ある名言の中でも特に私が気に入っているこの名言から本題に入っていこう。
私の行ってることは、大きな海の中の一滴の水だ、
という人もいるかもしれません。
でも一滴の水はなかったら、海もないのです。
さぁ、はじめましょう。
マザーテレサ
もくじ
マザー・テレサとは
参照:Pinterest
マザー・テレサは1910年 8月26日、セルビアのスコピエという町に生まれた。
当時のスコピエのまちにはトルコ人、スラブ人、ギリシャ人などの様々な民族が住んでおり、さまざまな言葉が飛び交っていたそうだ。もちろん生活の習慣も宗教も人によって違うので、まちにはイスラム教の寺院やキリスト教の教会もいくつもあった。
テレサの両親は、とても熱心なカトリック教徒。兄のラザール、姉のアギーに次いで 3人目の子供だった。
本名はアグネス・ゴンジャ
マザーテレサは本名ではない。本名はアグネス・ゴンジャ。
ちなみにゴンジャというのはアルメニア語で「つぼみ」という意味。「いまはつぼみのような可愛さのアグネスだけど、大きくなったら美しい花になって、見る人びとの心をやすらかにしてほしい。」というお父さんの想いが込められたそうだ。
では、「マザー・テレサ」という名前はなんなのか?
この「マザー・テレサ」という名前は修道名というものだ。修道女になるときには、それまでの自分の名前に別れを告げて、自分を導いてくれるような尊敬する聖女の名前を自分の修道女としての名前として名乗るようになる。
正確に言えば「テレサ」が名前で、「マザー」は敬称のようなものだ。
腹がすいている人には魚をあげる
インドで少しづつ有名になってきた彼女のもとに、ある新聞記者がやって来て
という、まぁ一般論を現場で、寝る間を惜しんで活動しているマザーテレサに投げかける。じゃあお前が魚の釣り方教えろや。
それに対してマザーテレサは
と、見事な返答。
まだまだ記者は食い下がります
返す刀でマザーテレサ
といって新聞記者をやりくるめたそうな。
素晴らしい行動力のほかに、確固たる信念を持って、自分の為すことに向き合っていたマザー・テレサの一面が分かるエピソードだ。
非凡なアイデア・教皇からの車を......
参照:Pinterest
上の写真に君臨しておられるのがローマ教皇。ラスボスではない。
一応 教皇がどういう人物なのかを説明しておくと、教皇とはキリスト教の最高位聖職者に与えられる称号のこと。一般的にはカトリック教会のローマ司教にして全世界のカトリック教徒の精神的指導者であるローマ教皇のこと。法王とも呼ばれたりする。ラスボスではない。
とにかく、とても偉い人である。全世界に23億人いるキリスト教の最高位聖職者で、12億人いるといわれるカトリック教徒の精神的指導者、ということで十分に凄さが分かるだろう。もしかしてラスボスなんじゃ…とお思いの方もいらっしゃるかもしれないが、多分、ラスボスではない。
そんな偉大な当時のローマ教皇 パウロ6世がインド滞在中に乗っていた高級車を、帰国する際にマザーテレサにプレゼント。 普通の信者なら大切に保管する代物なのだろう。とりあえず、僕なら車庫にしまっておく。おそれおおくて乗れないよ…
ところがマザーテレサ、このとき新たに貧民を収容するための寺院を立てるための資金繰りに困っていたこともあり、どうしようかと仲間たちと悩んでいた。
しばらくしてマザーテレサが、
という教徒も驚愕の案を出した。
さすがに、ほかの教徒からも
「いや、テレサさん、、、それは、、」
と、すぐに賛同は得られなかったそうだが、テレサは
と言って提案を通し、宝くじを開催させた。
なお、この宝くじはスラムの住民からは「マザーテレサの役にも立って、高級車が当たるかもしれないなら買わない理由がないぜ!」と大変 喜ばれ、宝くじは飛ぶように売れたそうだ。非凡なアイデアを出したマザーテレサだった。「アイデアの人」と呼ばれている節もある彼女である。
強い信念と行ったこと
修道女としての厳しいルール
皆さんは「修道女」という人達について どれほどご理解があるのだろうか?僕はまったく知らなかったが、調べてみると 「神に仕える人」 という呼称があったように、普通の人では大変に思うような掟がいくつかある。
有名なところでは3つの誓願というものだろうか。簡単にまとめると
- 1つ目に「清貧(せいひん)」。これは自分のものは、お金も洋服も持ってはいけない、ということ。
- 2つ目に「貞潔(ていけつ)」。心も体も つねに清らかでなければならない、ということ。
- 3つ目が「従順」。目上の者には素直に従うということ。
これに付け加えて、当時は修道院以外に外出することは原則禁止とされていたこともある。
なかなか厳粛で禁欲的。ゆえに修道女になるからには独身でいなければいけない(まぁ還俗すれば可能らしいが)。誓願にはいくつか種類があるが、テレサは一生 3つの誓願を守ることを約束し、神に仕えることを誓う「終生誓願」をしていた。
幼少の頃から熱心な信徒で、18歳のときに修道女になるため訓練をしたマザーテレサ。「貧しい人を助けたい」と思って志願した宣教先のインドだったが、テレサの行ったダージリンのロレッド修道院、カルカッタの聖マリア女学校では比較的 裕福な子供たちが学びに来るような場所で、貧しいひとは一人もいなかった。
ロレット修道院の窓から見えるスラム街の現状について思うところはあったものの、修道女としてのルール上 テレサにできることはなかったそうだ。
掟に背いてでも....
そんな現実に思い悩んだテレサ。ある日 ダージリンと聖マリア女学校を行き来しているときに、ふと、「神のお告げ」というものを聞く。実際に声のようなものを聞いたわけではないそうだが、神様が自分になにをさせたいのかをテレサは心に強く感じたそうだ。
そして「修道院の外に出て、貧しい人のなかでもさらに貧しい人のために仕えよう」と決意して、カルカッタの大司教(すごい偉い人)から異例の許可証を受け取り、20年近くを過ごしたロレット修道院から去った。
それまでのロレット修道院の黒い修道服を脱ぎ、白い木綿のサリーに三本の青い線という「マザー・テレサ」として名高い衣装を羽織り始めた。
神と愛の宣教者たち(missionaries of charity)
参照:ABS-CBN NEWS
こうしてどんどん貧しい人達のために働くことになったテレサだったのだが、何万人もいる貧困者の相手だ。毎日毎日 朝から晩まで働き、体の節々が痛むまで働いてもテレサの仕事は尽きることはなかった。
そこに現れたのがかつてロレット修道院や聖マリア女学校のときの教え子達だった。自身のピンチにかつての教え子たちが現れるというアツい展開だ。テレサは身をもって知っていた困難さを説いたが、教え子たちの決意は固く テレサのもとで働くことになった。
1人、2人とテレサのもとに人が集まり、テレサは自分たちの集まりを「神の愛の宣教者たち」と呼ぶことにした。そしてテレサは 修道女たちに、3つの終生誓願のほかに「貧しい人のなかでも もっとも貧しい人びとへの心からの献身」ということを特別誓願として付け加えさせたそうだ。
13人が集まったころにはローマ教皇から「神の愛の宣教者たち(missionaries of charity)」として正式な修道会として認められることになった。このときから、創設者のテレサは、それまで呼ばれていたシスター・テレサからマザー・テレサと呼ばれるようになる。
ニルマイ・ニヒダイ(死を待つ家)
名前の響きがちょっと暗い感じがするが、名前の通り 死を待つ人のための場所をテレサは設けた。
当時 テレサ達が活動していた大都市カルカッタでは100万人もの人々が家もなく、路上で生活していた。日本人の私たちには信じられないが、彼等は路上で料理をして、道端でねむり、ひっそりと死んでいった。なかには路上で出産し、放置されてしまう赤ちゃんもいた。
最初の頃は誰彼構わずに救おうとしたテレサだったが、どうやっても救いきれないことに気づかされる。「みんな神様に望まれて生まれてきた命なのに誰からも看取られず死んでいく」ということは、テレサにとって最も辛いことのように思えたそうだ。
「せめて私たちは、、」と思ったテレサ。宗教的に別なヒンズー教のカーリー寺院の敷居の中にあった教徒の休憩所を貸してもらえることになった。そこを綺麗に掃除して、病院からも見放されてしまったような死にかかった人をつぎつぎに運び込んだ。
マザー・テレサの名言の中に
この世で最も悲しいことは貧しいことや病気、飢えで死ぬことではありません。
誰からも相手にされず、自分はいらない人間だと思い込んでしまうことです。
というものがある。
せめて、死ぬときくらいは人間らしく心から愛してあげたい、と思ったテレサ達 修道女の献身的な介護によって最後を迎える人の中には、精一杯の感謝の言葉を残していく人も多くいた。
もちろん専属の医師などを雇うようになり、元気を取り戻していく人もいましたが、大半の人は、そこで安らかな死を迎えていった。