ヒンズー教徒からの嫌がらせを

ヒンズー教にとって神聖な場所であるところにキリスト教のテレサたち修道女がいることを快く思わない教徒達は、テレサ達を追い出すために嫌がらせを始めた。しかし、それに屈しないテレサ達をどうにか追い出してやろうとしたヒンズー教徒たちは、地元の市役所などに立ち退き要請を出した。

 

 

要請を受けた職員たちがマザー・テレサ達の働くニルマイ・ニヒダイ(死を待つ家)を訪れて、彼女たちを半ば強制的に追い出そうとした。

 

しかし、普通の人であれば嫌がる匂い、目をそむけたくなるような怪我をした人達の介護、今にも死にそうな人にずっと寄り添う彼女たちを見ているうちに職員たちの心は徐々に変わっていく。

 

そして、

 

おい!ヤツ等はすぐにでもここを出ていくんだろうな!

 

というマザーテレサ達をよく思わない民衆に対し職員は

 

彼女たち修道女をここから追い出すことはできます。

 

 

しかし、それは彼女たち修道女が朝晩 寝ずに行っている仕事をあなたたちが代わることができれば、という条件付きです。

 

 

と映画のワンシーンさながらな返答をしたそうだ。

 

最初はそのように敵対心のあったヒンズー教徒だったが、次第に修道女達の働きぶりに心が動かされ、彼等自身も彼女たちの仕事を手伝うようになっていった。

 

 

 

孤児の家

参照:post.jagran.com

 

ロレット修道院から離れたテレサが行っていたことに「青空教室」というものがあった。スラム街や路上で暮らしている子供たちを集めて 文字を教えたり、算数を教えていた。

 

しかし、どれほど修道女達が頑張ろうとも、親から捨てられてしまう子供、ゴミ捨て場に置いて行かれる赤ちゃんはそこかしこにいる。そこでテレサ達は、「孤児の家」をつくることで、育てられなくなってしまった子供が集まるような施設にしようと考えた。

 

もちろん、子どもを育てるためのお金はかかるが、そこはテレサのアイデアで「里親制度」などを考え出し、インド国内だけではなく 世界中から支援を集めることに成功した。

 

 

ハンセン病患者の平和の村

参照:The New York Times

 

カルカッタには当時、30万人以上のハンセン病患者がいるとされていた。

早期治療で完全に回復する病気だったのだが、当時の患者たちは迫害を恐れて病気になったことを隠し、感染を拡大させてしまったり、手遅れになっていた。

 

そこでテレサ達は患者のもとに行き治療をしたり、道端でハンセン病についての講義をして病気についての正しい理解を促した。

やがてチタガールという土地を譲り受け、そこでハンセン病患者の治療したりしていたが、やがて定員一杯になってしまう。

 

 

テレサ達の懸命な活動によって、西ベンガル州の知事から広大な土地{14万平方キロメートル(東京ドーム3.5個分くらい)}を譲り受け、そこをハンセン病患者のための村にしようと考えた。しかし、村という名前のとおり、地区ごとに病棟、シスターたちの移住場所、田畑、患者とその家族たちの住む場所を作らなければいけないので、莫大な資金が必要。

 

 

そこでテレサが思い付いたのが、先述した「教皇からの車をくじ引きの景品にしよう!」ということだった。宝くじはとぶように売れて、そのお金でハンセン病患者にとって理想の村「平和の村」をつくることができたのだった。

 

 

 

日本に送った言葉

飛行機に乗ったとき、捨てられる機内食をもらうために「私を乗員として働かせてください。」と乗務員に交渉して大変驚かせた話など、そのほかにもたくさんの逸話があるのだが、最後マザーテレサが日本に訪れたときにした話を紹介する。

 

 

アフリカの国々が滅びるとしたら貧困が原因でしょうが、日本が滅びるとしたら心が原因で滅びるでしょう。日本人はインドのことよりも日本国内の心の貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。

 

愛はまず、手近なところから始まります。誰からも必要とされない貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも もっとひどい貧しさと言えます。豊かな日本に心の貧しい人がたくさんいる。それに気づくことさえできない人もいる。

 

愛はまず家庭から始まります。まずは家族の中から不幸な人を救ってください。夫婦が愛し合い、母親が家庭の中心となりなさい。自分の家庭が愛に満たされていなければ隣人を愛することはできません。

 

 

読者諸君は日々 誰かを幸せにして過ごせているでしょうか。僕はキリスト教徒でも、ましては博愛主義者もないけど「自分が幸せになりたいならまずは周囲から」的な考えには同意できる点がたくさんあるように見える。

 

冒頭にも述べたが「人生は楽しむもの」という考えで猪突猛進に自分だけの幸福を追って他人を思いやる心、ゆとりのない人生というのは本当に満ち足りたものなのだろうか?その手の話は経済的に成功した人でないと語るに説得力が欠けるのが歯がゆいところだが、どうなんだろうね。

 

 

 

黒い噂について

光が強いほど影も強くなるのが世の常で、このマザーテレサも例外なく悪い噂も存分にネットで確認することができた。性善説・性悪説には疎い僕だけれども、まぁ人間ていうのはかくまで愚劣な邪推が可能なものなのだなぁ、と感嘆した。

 

中には”「死を待つ家」では専門的な治療によって延命することのできた患者もいた!”とかいう意見があったけど、長生きをすることが必ずしも幸せなことではなかったりするからね。ベットの上で生き永らえることが幸せなんて、誰にも言えないだろう。命なんて僕はよく分からんが、人がソレをどうこうするなんておこがましいだと思う。本間先生もそんなこと言ってただろう。

 

 

これまでにインドで国葬が行われたのは たったの2人だけだ。「非暴力・不服従」などを掲げて、インドをイギリスからの独立させるために尽力されたマハトマ・ガンジーが一人目。そして今回紹介させていただいたマザーテレサが2人目だ。

 

 

どんなに噂話が広がったとしてもマザーテレサが貧困に悩む多くの人々、差別に苦しむ人々を救い、そして多くの人の死に付き添ったということは紛れもない事実だろう。本当に最適な対処をできていたのか、そこに不備はなかったのか、なんていうのは後からなんとでも言えることだ。だいたい衛生環境が~~」って現代の衛生環境と比較しても仕方ねーだろいい加減にしろ!

 

 

なんにせよ僕にとっては、誰から強制されたわけでもない、それもお金・地位を目的にしない「貧者の救済」ということに生涯を費やした彼女の生き方は十分に普通ではない「偉人」の域だと思う。じゃなきゃ国籍変えてまで劣悪な環境に身をおいて奉仕できないからして。

 

 

ここれでマザーテレサさんの名言を貼っておく。

思考には気を付けなさい、それはいつか言葉になるから。

言葉には気を付けなさい、それはいつか行動になるから。

行動には気を付けなさい、それはいつか習慣になるから。

習慣には気を付けなさい、それはいつか性格になるから。

性格には気を付けなさい、それはいつか運命になるから。

 

 

あまり一辺倒に何かに影響されたり尊敬したりすることは良くないことかもしれないが、悪いことに目を向けすぎるのも勿論 良くないことだと思う。思考、もとい「考える」ということはとても難しいことだ。

 

 

 

 

まとめ

やらない善よりやる偽善」という言葉がある。そもそも「善」なんていうのは個人・時代によって線引きが曖昧なモノだけど、結局のところ 何もしなかった人に先陣に立って何かを成し遂げた人をとやかく言うことほどみっともないことはないだろう。

 

 

私は早速 影響を受けて先日 仕事を辞める人にプレゼントと手紙を渡してみた。まさか そこまで仲良く話してもいなかった僕からプレゼントをもらうと思っていなかったらしく結構 喜んでくれた。

 

 

なにかを人にしてあげる、ということは小さくとも素晴らしいもののように感じるね。

 

 

大きな海も、一滴の水から。

 

 

 

 

 

 

 

 

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