この前、Adoの新曲で「唱」がリリースされた。
歌詞に、
格好つけてるつもりはNO NO
オートマティックに溢れちゃう本能
という部分があるんだけど、これがまさに『逆張り』の本質的な部分に類似してると思いまして。
また「批評」や「ポストモダン」思想はたしかに逆張り的なところがあるし、逆張りは「承認欲求」のために、「目立ちたい」せいだとも良く言われる。
そして、なにより悪口や罵倒には自分は否定したい価値観が込められるものだ。逆張りについて考えることは、その反対に、逆張りを嫌う人たちの大切な価値観を考えることでもある。逆張りが急速に嫌われた時代の変化も振り返ることができる。
引用:[逆張りの研究]まえがき 逆張りくんによる「逆張り」の研究
というワケで、今回は「逆張りの研究」という本について。
著者は逆張り編集(方便凌さん)による指名を受け、「若くして老いた怠惰な知性」、「若き老害」などと罵詈雑言を吐かれ、小っちゃな頃から逆張りで、15で批評と呼ばれた綿野 恵太さんによる力作だ。
身近に逆張りおじさんがいて疲れる…
なんでもかんでも否定的で逆のコトを言い出す心理が分からん
という方は是非 読んでみてほしいので、僕が感じた魅力を全部まとめていく。あ、記事本文では随所にネタバレや本文の引用もあるので、気になる方はここらでブラウザバックしてね。
もくじ
逆張りの研究
面白かったポイント
新聞記者に「逆張り」認定された批評家が戸惑いつつも「逆張り」という現象を考える。「批評」ではなく「運動」や「現場」、「おじさん」ではなく「女性」や「若者」、「傍観者」ではなく「当事者」が称揚され、「逆」が嫌われた(あるいは反動的に好まれた)2010年代とは何だったのか?
引用:筑摩書房「逆張りの研究」
読もうと思ったきっかけ
よく意味を知りもしないのに「逆張り」という言葉を使っちゃいないかね?いるでしょう。というか僕がそうだったよ。そもそも「逆張りの研究」を読もうと思ったきっかけは、この前 池田晶子さんの本を読んだからだ。
読んでいて超ナチュラルに、何の気なしに
逆張りじゃん、そんなの…
と思った。世の中の当たり前・常識に対していちいち突っかかる独善的な態度、逃げ場を残してくれない論理的な文章にムカついてしまった。自分が「まぁ世の中こういうもんでしょ」と納得しかけている部分を掘り返される感覚が不愉快だった。で、気になったのが
ん、そもそも「逆張り」って何だ?
どっから出てきた?
と思い、「逆張り 本」とググって引っかかったのが本書でした。
目次からして面白い
- 第1章 「成功したければ逆張りをしろ」
―投資家と注意経済の時代
- 第2章 「どっちもどっち」の相対主義と
「この道しかない」の絶対主義
―同じところで同じ情報がぐるぐる回っている
- 第3章 「昨日の敵は、今日の友」
―アンチと「アンチのアンチ」の戦争
- 第4章 「ブーメランが突き刺さっている」
―アンチ・リベラルの論法
- 第5章 「他人からええように思われたいだけや」
―動機を際限なく詮索するシニシズム
- 第6章 「そこまで言って委員会」
―インターネット学級会とネトウヨになりかけたTくん
- 第7章 「やっぱり東野圭吾が一番」
―逆張りとしての批評
- 第8章 「脳をつつけば世界はガラリと変わって見える」
―はるしにゃんとケミカルな唯物論
- 第9章 逆張りは多数派の敵でありつつ、友でなければならない
と、もう目次からして面白く感じた「逆張りの研究」。
なんというか自由なエッセイ感が良い。第一章の「成功したければ逆張りをしろ」なんてのはとっても好奇心を煽られた。
発見の連続!
著者のロジカルな文章な文章も面白かった。
「ポピュリズム」とか「ポストモダン」とか小難しくて良く分からない言葉や概念も出てくるけど、端的かつ要所を抑え、実例を出しながら解説してくれるので見新しい言葉を次々に吸収できるような気持ちよさもあった。知識欲が満たされてる感じ。え、僕が無知すぎるって?
ちなみに、
は、はぇ~~…??
と実際に登戸駅のホームで口走ってしまったのが以下の文章。
「かわいそうな弱者」と「かわいそうではない弱者」が社会の少ないリソースを奪い合う。なぜこのような「ゼロサムゲーム」として描かれるのか。その理由の一つは「ゼロサム・ヒューリスティック」という認知バイアスである。僕たちの脳は、
誰かが得をすると誰かが損をするとみなす傾向
がある。女性の支援を訴えるフェミニズムが、何か損をした気持ちになった男性から反発を受ける理由である。
引用:第4章 ブーメランが突き刺さっている
すごくないか?この認知バイアス。はじめて知った。誰かが得をすると誰かが損をするとみなす傾向。これで僕達が陥りがちな不毛な敵対心の原因が納得できる。
- 金持ちに対する敵対心
→オレの分まで金を余分にとりやがって! - フェミニズムに対する敵対心
→女よりオレ(弱者男性)にも注目しろよ!
ってな具合。「弱者VS.強者」、「富裕層VS.貧困層」、「マジョリティVS.マイノリティ」みたいな各種の分断や対立、階級闘争の根源にあるような気がしなくもない、すんごいゼロサム・ヒューリスティックだった。
本書はそんな感じで、各種 人間の認知バイアスについて詳しく解説してくれる。不毛な感情の由来が分かる。モヤモヤしてた症状に病名が付いたような安心感も提供してくれる「逆張りの研究」だった
逆張りについて学べる
逆張りとは何か?
著者は決して一言では総括していない。
ただ、個人的には
承認欲求の満たし方
として使われていることが多いように感じた。本来の意味としての「逆張り」は投資用語である。「いま」人気のない商品を買っておいて、「未来」人気が出たときに売る、みたいな意味合いで使われているそうだ。しかし、少なくとも僕の見える範囲(主にSNS)では、超簡単な承認欲求の満たし方、マウントの取り方として応用されているように感じる。
「逆張り」は超簡単に、お手軽に出来るという点も強い。周りとの差異化を図る上で、これ以上に考え無しにも出来る手段はない。運が良ければ「この人は独特の価値観を持ってるなぁ」と評価されることもあり、運が悪くても逆張りを良く思わない他人に構ってもらえる。僕が昔、終末のワルキューレという漫画について逆張り的な記事を書いたが、結構な反響があったりした。ブログをやってたら広告収入にも繋がったりする、お得な「逆張り」。
著者のアウトロー感
無論、一筋縄ではいかないのが「逆張り」だけど、過去の様々な歴史や個人の体験談などを踏まえて解説してくれているので最後まで関心したり笑ったりしながら読めた。特に著者の「自称進学校」時代に感じたイラつき。人間の誠意や高潔さを信じず、私欲の匂いを嗅ぎつけるシニカルな態度は僕にはないものだけど、そこもまた痛烈で面白かった。
著者のような人間になりたいワケでは決してないけど、そういった人間の価値観も気持ちが良いほど筋が通っているなと思わされる塩梅。いつか、こんな文章が書けたらいいなぁ。
あ、筑摩書房の公式サイトで「まえがき」が読めるので、気になった方は是非。
逆張りの研究
グッときた文章
「逆張りの研究」を読んでみて面白かったところや、感銘を受けた一節を備忘録として抜き出しておく。多くなり過ぎたので数を減らしたが、少しでも気になるフレーズがあれば是非、本編を読んでね。
逆張り=投資家的な生き方
「逆張り」という言葉が広がった背景には投資が身近になったことや、スタートアップ企業などの企業ブームがある。もちろん、投資家=逆張り的に生きれば、かならず成功するわけではない。「生存性バイアス」(多数の敗北者には目を向けず、一部の成功者に注目して判断を誤る傾向)の可能性がある。しかし、逆張り=投資家的な生き方が多くの若者に希望を与えたのも事実である。
引用:第1章 成功したければ逆張りをしろ
ポピュリズム
このような類友化によって「ポピュリズム」は活気づいた。ポピュリズムは世界を敵/味方、善/悪という二項対立で単純化する。わかりやすい敵=悪への憎しみをかきたてる。世界をウエ/シタにわけて、「資本家(ウエ)」を敵にすれば、左翼ポピュリズムになる。世界をウチ/ソトにわけて、「外国人(ソト)」を敵とすれば、右翼ポピュリズムになる。
ポピュリズムは、敵/味方という二項対立の世界観を作り出して、「あなたは敵か味方か」という二者択一の踏み絵を迫るところがある。
引用:第2章 「どっちもどっち」の相対主義と「この道しかない」の絶対主義
本文ではもっと詳しく、部族主義的な本能から考えてポピュリズムを解説しているよ。
人それぞれ
インターネットにはたくさんの情報があふれている。しかも、ぼくたちの注意を集めようとする極端な意見ばかりだ。多くの人が他人の言動を「人それぞれ」だと相対化して思考停止することで、自分の考えを守っている。しかし、自分の考えを守る方法はこれだけではない。
引用:第2章 「どっちもどっち」の相対主義と「この道しかない」の絶対主義
一見、他者に寛容なようにも思える「相対主義」も、それは他者を積極的に理解する態度を最初から放棄している、という著者の意見にハッとさせられた。思えば「人それぞれだからなぁ」って、万能で使い勝手が良い言葉だよね。
自分の「常識」を揺るがす出来事
ぼくたちは、普段はほとんど何も思考していない。物事をいちいち疑っていたら、たいへんなことになるからだ。ぼくたちは、コミュニティや集団の「常識」を自分の考えのように利用して、さまざまな出来事を自動的に処理している。そうやって安心で快適な日常を得ている。しかし、なにかのきっかけで自分の「常識」を揺るがす出来事に直面する。想定外の事態をまえにして混乱する。取り乱す。パニックになる。しかし、「常識」を突き破って侵入する出来事があって、物事を根本から考える思考がスタートする。
引用:第2章 「どっちもどっち」の相対主義と「この道しかない」の絶対主義
アンチのアンチ
「アンチ」というのは、敵を蹴落とすことに夢中になった状態といえる。もちろん、ぼくたちはあるコミュニティや地域のなかで生まれ育つ。別のコミュニティの潜在的な「アンチ」にあなる。だからと言って、積極的に攻撃してやろうと思う人は少ない。「人それぞれだなぁ」と無関心=寛容に過ごす人が大半だ。
しかし、ポピュリズムは味方と敵を峻別し、敵への憎しみをかきたてる。「アンチ」として、敵を叩くことに夢中になる人が出てくる。より攻撃的な言動をすればするほど、「われわれ」(味方)から賞賛を得られる。部族主義的な本能を満足させられる。そうなると、敵をやっつけることに夢中になるあまり、自分の主義主張がおかしくなる人も出てくる。アンチ・アンチ巨人ファンとなった僕の親父のように。
引用:第3章 昨日の敵は、今日の友
厨二病的シニシズム
シニカルな人間はきれいごとをバカにするくせに、きれいごとを人一倍信じているところがある。だからこそ、きたない私欲も持つことが「偽善」として許せなくなる。普通に考えて、人間は複数の動機を同時に持つものだ。きれいな願いも、きたない私欲も。人助けをしたい。自分がただやりたい。他人からええように思われたい。これらの動機は矛盾なく両立する。私欲だけがすべての動機ではない。清濁をあわせて 呑めるようになってこそ、大人というべきではないか。
引用:第5章 他人からええように思われたいだけや
ボランティアを「偽善」と断定してしまう人に是非 読んでほしい名文。
自分は特別な存在だとアピールする「厨二病」と、多数派とあえて逆の道をいく「逆張り」は相性が良い。斜に構えるシニカルな人間はかしこく見える。まわりの人よりも優秀に見えるから、「厨二病」と結びつきやすいのだろう。しかし、実際にはシニカルな態度と知能の高さはあまり関係がない。
その理由は、なんでもかんでもシニカルに疑ってかかるので、自分に必要な情報や知識を得られないから、というものだ。
引用:第5章 他人からええように思われたいだけや
自己家畜化した人間
ぼくたちのはるか祖先が群れで暮らしていたころ、群れを支配する狂暴なオスがいた。一匹のボスが食料や雌を独占している。しかし、あるとき、支配下にいたオスたちが協力して狂暴なボスを殺してしまう。このように攻撃性の高い個体が淘汰されたため、人間はほかの動物に比べてカッとなって攻撃することは少なくなった(反応的攻撃性の抑制)。おとなしい従順な性格になった。だが、その代わりに、メンバーが協力して綿密な計画を練ったうえで、ほかの個体や群れを攻撃する、という別の残酷さ(能動的攻撃性)を身につけた、とされる。これが「処刑仮説」と呼ばれる説である。
引用:第6章 そこまで行って委員会
議論と決断
しかし、その一方で、他人の決断は批判しやすいところがある。決断は様々な可能性から、ひとつの可能性を選択する。しかも事態が刻々と変化するなかで。そのためにいろんな可能性を見落としやすくなる。
「こんなこともできたのに」
「ああすればよかったのに」
と取りこぼした可能性を「後だしジャンケン」で指摘するのは簡単だ。「後知恵バイアス」の可能性だってある(物事の結果が分かったあとで、「そうなると思った」と予測の範囲内のように考えてしまう認知バイアス)。
引用:第5章 他人からええように思われたいだけや
大きな決断になればなるほど慎重にならざるを得ないのに、「絶対に正しいはず」と思わないと行動に移せないことが多いのは何故なんだろう?本書で詳しく紹介されてたよ。
思考と決断
思考と決断は緊張関係にある。だが、両立できないわけではない。実現する可能性がほぼないと分かっていても、チャレンジはできる。だから、悲観的に考えて、楽観的に行動する、というのがベストである。
引用:第5章 他人からええように思われたいだけや
この文章を読むと脳がバグる。悲観的に考えてたら楽観的に行動できるわけなくない?という考えが抜けきれない。今まで色々なことに挑戦してきたけど、一度は絶対に「まぁ、なんとかなるっしょ」という楽観的考えからだった気がする。
本を読む価値
本を読む利点は現実逃避できるところだ。ぼくはそう思ってる。とはいえ、単に逃げているわけではない。本には未来や過去がある。その過去や未来の視点を通じて、「いま」に対抗するための拠点をもつことができる。だから、いまの常識から過去や歴史の都合のいいところを取り出したり、悪いところを断罪してみたり、いまの自分をそのままm認めてもらいたいならば、本を手に取る必要はない。そもそも本を読んだり書いたりするのは時間がかかる。必然的にいまからズレていく運命にあるからだ。
引用:第9章 逆張りは多数派の敵でありつつ、友でなければならない
読書、というか活字が苦手な人も是非 「逆張りの研究」を読んでほしい。本作ではタイトルにもある「逆張り」についての意味合いや使われ方の変化の他に、「嘘松」や「メンヘラ界隈」など、普通に生きていたら関わることのないジャンルにも寄り道しながら研究されている。清濁混ざった、若干アングラ的な雰囲気もあり、ひねくれている人ほど面白く読み進められると思う。
ところで「逆張りは多数派の敵でありつつ~」という第9章のタイトルが渋いのも個人的に気に入っているポイント。真意については本書を読んで理解してほしいだけど、
ブラックラグーンの竹中が言い放った「オレの仕事は''公共の敵''だ」に通ずる渋さがある。僕も機会があるなら臆さずに、正しく逆張りを使っていきたい。
総括:「逆張りの研究」
読書レビュー
純粋に「読んでいて楽しい」
と思えた「逆張りの研究」だった。ところどころに著者の思想や考え方が垣間見えるんだけど、これがまたアウトサイダーっぽくて読み応えがあった。間違いなく今の世の中における異端分子。だからこそ世の中やTwitterで繰り広げられる不毛な論争に対して冷静に、きめ細かく分析できているのでしょう。
結論は、ぶっちゃけ良く分からん。
てか、そんなもんある必要がない。研究だし。著者が「わかる」ところ「分からない」ところを腑分けしながら書き進めているので、どうしても断定的な「コレ!」という主張は少なかった。しかし、納得できる部分は多かった。僕が池田晶子さんの本を読んでイライラ不愉快になり、
逆張りじゃん!何この人!!
と思ったアレは「逆張り」ではなく、気に食わない少数意見に対して「逆張り」と断定し、自分の信じている価値観を守ろうとする思考に他ならないことが理解できた。
バズったり承認欲求を満たすために「逆張り」が乱用される現在では、僕のように気に食わない意見に対し、
はいはい逆張りね、おつかれ
目立ちたい(嫉妬してる)から逆張りしてるだけだろ、おつかれさん
と流してしまう癖が付いてしまう人も少なくないと思う。
「逆張り」と「批判」の線引きを理解するために、本書を是非。知り合いが自殺したり、友達がネトウヨになりかけたといった著者の経験談などを織り交ぜながら進行するので、最後まで飽きることなく読めたよ。
200万冊以上が読み放題!
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