ヒューマニズムを失った現代人の皆さん、こんにちは。今日もTwitterで死体蹴りは捗ってる?
僕らのような意地悪なひねくれものはツイッターやインスタの出現によって生活が豊かになるどころか、
「加工アプリで取った自撮りばっか投稿してんじゃねぇ。本当のブス面見せろ」
「子供の写真ばっかで良い奥さんアピールですかぁぁあ?!」
と無益な怨恨・嫉妬を抱くようになっている。誰か僕を目覚めさせてくれ。手加減して殴ってくれ。
とはいえ、僕以外にもドキッとした人もいるんじゃないだろうか。大丈夫、分かるよ。僕たちは急に発展してきたスマホやらSNSやらの悪影響をもろに受けてしまっているんだ、そうなんだ。自分勝手で被害者的な考え方だと思うかい…?僕も思っているよ…
そんな切な、
- すっかり不誠実で立派じゃない大人になってしまったあなた
- 立派な大人になってほしいと子供に願う親御さん
におススメ!
☝みたいな感じで、どのメディアでも取り上げられている本があるということを聞いた。
すっかり不誠実で立派とは対極に君臨する私としては、これ以上 無益な苦悩にばかり精力を費やすのも、不毛な怨恨・嫉妬に青春を空費するのは御免なので、急いでKindleで読んできた。血眼で文字を追ってきた。
というわけで、ちょっと流行には遅れたものの、今日は2018年のベストセラー(発行部数は漫画・小説合わせて200万部)かつロングセラー(初版は1937年)の「君はどう生きるか」という本を読んでみた。漫画版ではなくって、小説版の方だ。
君たちはどう生きるか
中学2年生の主人公 本田潤一君改めコペル君が疑問に思ったり、体験したことを題材に、叔父さんが「おじさんノート」としてまとめる、といったスタイルで話が展開していく「君たちはどう生きるか」。
全編を通して”格差”、”貧困”、”人間関係”、”学問”、そして”人間としてどうあるべきか”について説かれていた「おじさんノート」は、コペル君向けに語り口調で書かれている。そういうわけで胸に刺さる。ハッとさせられる。
「いや、でも子供向けの哲学・道徳書でしょ?自分で考えられる大人が読んでも意味がないんじゃないの?」
と思う人もいることだろうけど、心配するなかれ。哲学・道徳に大人も子供もない。むしろ活字離れした大人のみんなに
純粋本質性の自己運動こそ、それの精神的生命であって、これが即ち論理学を構成するものだ。
引用:大論理学(ヘーゲル著:武市健人訳)
みたいな平沢進の歌詞みたいな文字の羅列みせてどうなる。読む気が湧くところか眠くなるだろ。買ったところですぐBOOKOFFだよ。僕はそうした。
そんな賢いチンパンジー並みに理解力が減退した僕たち、不誠実な大人たちにおススメなのが「君はどう生きるか」という本だ。
間違いなく良著なんだけど、ボキャ貧の僕には その魅力を伝えるには荷が重い。
そこで今回は、10個あるテーマの中から4つ選び、その中で心に沁みた文章をいくつか紹介してみた。
ものの見方について
自分たちの地球が宇宙の中心だという考えにかじりついていた間、人類には宇宙の本当のことは分からなかったこと同様に、自分ばかりを中心にして物事を判断していくと、世の中の本当のことも、ついに知ることができないでいてしまう。
大きな真理は、そういう人の目には決して映らないのだ。
だからねぇ、コペルくん。当たり前のことというのが曲者なんだよ。分かり切ったように考え、それで通っていることを、どこまでも追っかけて考えてゆくと、もう分かりきったことことだなんて言っていられないようなことにぶつかるんだ。
ある哲学者が「哲学の第一歩は、考えること」と言っていた。
誰も何かしらは思っていることだから、自分は「考えている」と思っているが、とんでもない、と。そんなのはただ、たいていは「思っているだけ」にすぎないそうだ。あれこれ思い悩んだり思い煩ったり、そうでなくとも計画したり検討したり勘案したり、しかしそういうのは「考える」というのとは違うそうだ。
読者の皆さんは、どうだろうか。「常識を疑え」とか「自分で考えて」など手垢に塗れたフレーズが氾濫しているが、常識って どんなことがあるだろう。考える、ってそもそもどういうことかね。
人間の結びつきについて
人間は、いうまでもなく、人間らしくなくっちゃいけない。人間が人間らしくない関係の中にいるなんて残念なことなんだ。たとえ「赤の他人」だって、ちゃんと人間らしい関係を打ち立ててゆくのが本当だ。
どんどん便利になっていく世の中だけれども、幸福度が下がっていくような気がするのは気のせいか。
気のせいじゃないとしたら、やっぱりそれは「人間関係」のせいじゃないかって思う。顔も知らない人達とも簡単に繋がれるような時代だからこそ、僕らは関係を軽視してしまいがちだ。
人間の悩みはすべて対人関係から、とアドラー心理学でも言われている。そういうわけでは否が応でも人と関係を持つ現在では“人間らしい関係”を意識しないと大変なのかもしれない。
でも、“人間らしい関係”って、どんな関係だろう。
貧困について
考えてみたまえ。世の中の人が生きてゆくために必要なものは、どれ一つとして人間の労働の産物でないものはないじゃあないか。
自分が消費するよりも多くのものを生産する人と、なにも生産しないで、ただ消費ばかりしている人間と、どっちが立派な人間か。どっちが大切な人間か。
高級車を乗り回し、高層マンションに住んで資産運用で稼いでるツイートばっかりしている人とかいるけど、あの人達こそ実はなんの値打ちもないのかもしれないね。特に誰かを思って書いたわけじゃない。
ナポレオンと4人の少年
世間には悪い人ではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が決して少なくない。
人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気魄を欠いた善良さも、おなじように空しいことが多いのだ。
思い当たる節がありすぎた1フレーズ。そうなんだ。僕はそんなに悪い奴じゃない気がするんだけど、弱さ余って四方八方に喧嘩を売るようなモノの書き方になってしまうんです。ごめんね。
石段の思い出
潤一さんもね、もしかしたらお母さんよりも、もっともっと辛いことで後悔を味わうかもしれないの。
でも、そんなことがあっても、それは決して損にはならないのよ。その事だけを考えると、たしかに取り返しがつかないけど、心にしみとおるようにして知れば、その経験は無駄じゃないんです。それから後の生活が、そのおかげで、前よりもずっとしっかりした、深みのあるものになるんです。それだけ人間として偉くなるんです。
だから、どんなときにも、決して自分に絶望してはいけないんですよ。
(☝これは実際に小説版で読んでほしい。泣きそうになったわ)
心に感じる苦しみやつらさは人間が人間として正常な状態にいないことから生じて、そのことを僕たちに知らせてくれるものだ。
そして僕たちは、その苦痛のおかげで、人間が本来どういうものであるべきかということを、しっかりと心に捉えることができる。
生きていれば辛いコト、悲しいことは山ほどある。そんなものは誰だって避けていたいけれども、痛みがあることで分かることの重大さ、っていうのも認識しなければいけない。体であっても、痛みがあるからその部位に手当が必要だと分かったりする。
もちろん辛いことは辛いし、悲しいことは悲しい。ただ、そんな心に感じる苦しみや辛さからも意味や知識を汲み出していくことで強く、立派な、深みのある人になるのかもしれない。
宣伝の通り、不誠実で立派からかけ離れたところにいる僕にとっては、節々にハッとさせられるところのある本だった。
大人と言われる年齢にいながらも精神的に幼かったり、ストレスばかり感じているような人達が増えているように思える。そういう大人たちの参考書として素晴らしいと感じた「君たちはどう生きるか」だった。
活字の苦手な人は漫画版もおススメ