大人になって外国語勉強するなら『わたしの外国語漂流記』読め

僕自身、オーストラリアで数多くの留学生・ワーホリメーカーを見てきたが、ほとんどの人が「アタシ英語できなさすぎ😂」みたいなツイートをしてるのは気のせいか、いや気のせいではない(反語)。僕の知人だけでも1ダースはいる。

日本に絶望を持ち始めたのか外国に希望を見出し始めたのか知らんが、外国語(主に英語)の必要性が年々 高まっているらしい。うんうん、思い思いに生きてほしい。

 

 

ほしい、のだが外国語(英語)を不得手とする日本人が多いのも事実。特に英語圏。せっかく海外留学の大半を部屋で過ごす男子のなんと多いコト。いや、いいよ。君が楽しいんならいいよ。YoutubeにNetflix、楽しいよな。だが当初あった「英語を話せるようになる」が「エンジョイする☆」という目標になってしまうのは切ない。英語は、どうしたんだね…?

 

 

僕ら日本人は、言語的にかけ離れた英語を勉強することによって外国語を苦手と考えてしまいがちだ

 

 

では英語以外の他の外国語はどうなのか。英語より簡単なのか、そもそもどうやって勉強しているんだ。外国語なんてそのうちAI翻訳とかでできるから必要ないんじゃないのか。

 

そんな疑問に答えてくれるのが「わたしの外国語漂流記 未知なる言葉と格闘した25人の物語」という本だ。今回はそれについてのレビュー。

 

 

 

わたしの外国語漂流記

言葉は万能な道具ではないけれど、灯りのように人を温め、今いる場所を示し、進む道を照らしてくれる。これはそんなふうに海をわたり、外国の言葉にふれた25人の記録です

 

という冒頭メッセージがあるように、「私の外国語漂流記」はオランダ語やカンボジア語、ヤマノミ語などの外国語を習得した人達の奮闘記である。勿論 英語や中国語などのメジャー言語もある。が、この本ではそれら言語の効率的な勉強方法についてだけ書いてあるのではない。

 

それぞれの国の文化や言語習得を決めたきっかけ楽しさや苦労などを鮮明に書き綴った体験談が主だ。そこに他の言語関係の本にはない面白さや発見があった。なによりも、多国語を勉強することの楽しさや、得るものの大きさに感動した。多言語を学ぶ、ということはその言語が話せるようになるだけではない、と知れたのは素晴らしいことで大変モチベーションがUPした。

 

別に他言語についてでなくても、身一つで不安や艱難辛苦を乗り越えて外国語、それも教科書や辞書も整っていないようなマイナー言語を習得した各著者から学ぶことは多い。スマホがない時代に単身で渡航とか、すごいだろ。もうそういうところから学べる。

 

 

 

今回は僕にとって「これは!」と思った金言を3つほど紹介しておく。

 

 

「私の外国語漂流記」金言三選

 

伝えたい気持ち

伝えたい気持ちは、自分で学び、温め、育てることが肝要です。

 

引用:ロシア語 岡田 環

 

諸君が多言語を学びたいと思った“きっかけ”はなんだろうか。人それぞれ、といいたいところだが「なんとなく英語を話せたら かっこいいかな…」や「なんとなく就活に有利だと思って…」という理由の人も多いのではないだろうか。いいよ。ただ、君がそういう考えで留学・ワーホリをしようとしてるんならノーだ。甘っちょろすぎる。僕が君たちの親ならちゃぶ台はひっくり返すぞ。悲しきかなそういう人達は悪い大人やら留学エージェントの良いカモになってしまうんだね。怖いね。あ、留学エージェントのことを悪く言ってるわけじゃないよ。

 

 

僕のように石橋を叩き割る性格もダメだが、なんとなくで留学・勉強をするのもおススメできない。費用対効果が低すぎるからだ。3ダースはそれで失敗した人を見てきたんだぞワシは。何がダメかっていうと、これはもう勉強する理由が弱いからだと思う。デットオアアライブで語学に向き合えとは言わないが、理由や気持ちってのは大事なもんだと痛感してるよ。

 

なんとなく海外に来た人達よりも、国内にいたとしても「オレ、外国人の彼氏・彼女を作るんだ」ってヤツの方が語学は伸びる。最近はHelloTalkやら言語交換アプリも充実してる。金づる・セフレになりやすい問題は置いといて、そういう人達の方が圧倒的に成長が早い。

 

 

 

足場が固まってきたとこで結論に入ろう。つまり、「伝えよう」という気持ちが重要ということだ。

 

言語は言葉、そして言葉は自分自身の考えと伝える一番のツールなのであるから、この「自分の考えをその学習している言語で伝える」ということは、もっとも大切なものとして学習の中心に置かれるべきなのではないだろうか。

 

 

会話は運動

会話は運動に近い。目で相手を見て、口や喉を動かし、顔の筋肉や両手を動かす。話し言葉は、そうやって口や体を動かすことで身についていく。

引用:アムハラ語 松村 敬一郎

 

こんなに単語も文法も知ってるのに話せるようにならないんだけど…、とお困りの方もいるだろう。話すためには、まず話さなきゃいけないんだね。ただ当然 最初はつまづくもんで、大人の僕らはそれがイヤなのでますます話さなくなることがある。お手本のような負の連鎖。

 

勉強方法は数あれど、話せるようになるためには話さなきゃいけない。これをアムハラ語を習得した松村氏は『会話とは運動、そして「相手」がいることを考えるとダンスに近い』、というように言っている。相手の言葉にリズムを合わせ、言葉を返す。そうしていくことによって言葉が「身につく」そうだ。

 

僕は内向的な性格である。喋る前に「あっ」て言うことも多いしFGOにもちゃんと課金してる。ガチガチの陰キャだ。そんな僕だが英語を話しているときはオーバーなリアクションするし、:)みたいな絵文字も乱用する。服もなんだか原色系を着がちだ。

 

 

 

僕に限らず、他言語を話しているときに別人格になる、というのは結構聞く話だ。これは、その言語を話す人達と言葉を介してやりとりした動きやリズムが体に刻まれているからだ。

 

実際に話したいと思う相手に言葉を投げかけ、言葉を受け取る。話し言葉はその繰り返しで体にしみ込んでくる。話せるようになりたい、という人はその点を留意すると良さそうだ。

 

 

コピペ学習法

「コピペ」というと響きが悪いけど、それは楽をするための盗用ではなく、まるで写経のような、正しい書き方を体で覚える積極的な作業だった。

 

引用:英語 渡辺 佑基

 

英語という世界言語で論文を書いて発表するとき、必要なのは小学生でもわかるような明快さ、簡単さだと松村氏は言う。そして、最初の段階で役に立ったのが上にあるような「コピペ」だった。

 

下層大学生がやっているような他の論文を丸々コピペしているんじゃなく、使えそうな英文の例を多数 文献から探し出して、それをもとに組み合わせたりして論文を作る。自分で英語を書くよりも時間も労力もかかったそうだが、正しい書き方を覚えるのには効果的だったようだ。

 

論文に限らず、英語は世界言語として多くの人が話している。そして、その大半は非ネイティブ、英語を母語としない人達だ。そうなると相手に伝わらない難解な語彙・複雑な構文ではなく、明快で簡単に伝えることを求められる。

 

まずは定型に慣れるためにもコピペを積極的にするのも手ではなかろうか。

 

 

 

他言語を勉強することの大変さは既に義務教育を終えて数多の筆記試験に叩きのめされたあなたがたは理解のことと思う。ミートゥだ。わかる。半強制的に60分間座らされて結果8点とかもう怒りを通り越して泣きたくなるよな。え、僕のことじゃないですからぞ。

 

 

 

だが思うに、楽しさもまだ経験してないことだと思う。言語というのは使ってなんぼだ。むしろ使わない言語学習に意味なんかないんじゃないかとさえ思う。ガチ根暗の僕でさえウェイ系で蔓延る海外(オーストラリア)に来ていることを鑑みると、他言語を学ぶことの可能性は無限大だ。

 

 

英語に限らず、もっとマイナーな言語であっても同じ。むしろ、僕はそっちの方が楽しいと思ってる。「そんな言語 話せてどうなるの?」とかいうヤジは無視しよう。聞く価値がねぇよ。意味なんて自分で見出す以外にないだろ。

 

 

どうにもやることがなくって不完全燃焼気味な君。「わたしの外国語漂流記 未知なる言葉と格闘した25人の物語」を読んで、バイタリティに溢れた先人達の体験記に目を通してみては如何か。

 

 

 

 

 

 

 

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