サマータイムに入ったニュージーランドです。日照時間が伸びるというコトではしゃいでいる外国人連中に囲まれて生活しています。井家です。
さて、ついにニュージーランドのワーホリを終えることになりました。
去年はオーストラリアでワーホリをしていました。オーストラリアからニュージーランドにワーホリしにくる人は結構多いらしく、そんな人たちは『オーストラリアの生活の方が楽しかった』と言うようですが、私としてはニュージーランドのワーホリの方が圧倒的に楽しく、充実していたと思います。
総括、というと堅苦しいですが、今回は私のニュージーランドワーホリをまとめてみました。
もくじ
私のニュージーランドのワーホリ
ニュージーランドの軌跡としては、オークランド(4ヶ月くらい)→ウェリントン(6か月くらい)という感じです。
デートに明け暮れた
ニュージーランドのオークランドに降り立って早々、周囲に誰も知り合いや友人がいないことに孤立感を感じた私でした。恋愛経験の乏しさからのコンプレックスが高まり、これを機に女性をエスコートする素敵な大和男児になろうと思い、Tinderなる画期的なアプリを使って数々のデートを敢行しました。
結果 インドネシアや韓国、ブラジルやフランスなどの各国の女性達とデートすることができました。
という指摘にもありますが、デートしただけです。余は清廉にして潔白な男です。誇り高き男。エベレストのようなプライドの高さは自分でもどうにかしたい。。
男にとって女は謎で、女にとっては男は謎。そして我々はその謎に一生をかけて取り組むのです。決して『とにかく彼女が欲しい』というような浅慮ではないのは分っていただきたい。
基本的には根暗な私ですが頑張った結果、トランスジェンダーに惚れかけたり、帰宅して膝から崩れ落ちるようなデートをしたり、楽しいデートのはずが『Fuck Off』と言われたり、バーで知り合った女性と凄まじいことになったりと色々な経験ができました。
今まで経験したことのないような苦しさもあったけど、幾度も乗り越えて、決して強くはないメンタルであらゆる難局に立ち向かい、『もういいよオレ。頑張ったほうだよ。今日は休めよ』という心の中の軟弱者どもを蹴散らして、それまでの私では考えられなかったことを成し遂げてきました。
彼女ができた
結果、彼女もできました。韓国人の彼女でした。
一か月もしないうちに別れることになってしまい、私自身 己の未熟さを反省しつつも『彼女ももっと譲歩してくれるべきだったんだ、、』と酒の席で愚痴をこぼすくらいには整理できていませんので、ここは割愛します。
新たな恋もあった
別れてからすぐに、新たな出会いもありました。これまた韓国人でした。思い上がりでなければ、風の強いウェリントンにきて髪の毛をばっさりと切って短髪にしてから出会いが増えた気がします。
彼女は24歳の女性で、芦田愛菜さんのような素朴な可愛さの方でした。
出会い方としては、友人の韓国人男性(36)の開いたサムギョプサルパーティに参加したときに、参加者の日本人女性の職場の同僚として紹介してもらいました。
ニュージーランドを発つことを決めてからの出会いだったので深追いするつもりはサラサラなかったのですが、いつのまにか恋愛関係になり、日常生活に支障をきたすくらいに逐一メッセージを送り合い、『恋愛が生活を彩るとはこのことか』としみじみ思うくらいには浮かれていました。
遠距離恋愛を続けられるような自信もなかった私だったので、彼女には別れようと切り出しました。
出国前日、夜に彼女の家を出るときに、これっきり会うことはないんだろうなと思うと、せっかく繋がった線が切れてしまう儚さ、切なさが押し寄せてきて、どうにも耐えられず彼女の目の前で泣いてしまいました。またまた彼女の部屋に戻り、サヨナラを言ってから1時間後、ようやくUberを使って帰宅。インド人ドライバーに気を遣われる始末でした。
バックパッカー宿に帰っても寝付けず、かといってめそめそ泣いているのを誰かに見られたくなかったので、わざわざ外に出て、路地裏でさめざめ泣いていました。
どうにも辛くって、手紙を書いて、自分のよく使っていた香水をハンカチにふって、翌朝 渡しに行きました。我ながらヤバい行為だとは思いますが、人生にはふと自制心を失い、普段からは考えられないようなコトをしていまう瞬間があるようで、あのときがそれでした。
幸いドン引きされずに喜んでくれたらしく、空港でフライトの時刻を待っているときも電話してました。一緒に過ごした時に撮ったらしい動画を見たりしていると、また虚しくなって机に突っ伏してました。
そんな感じで別れた私達でしたが、未だにメッセージを毎日送り合っています。触れられる距離にいないのに想いが膨らむのがイヤなんですけど、抗いようもなく楽しくって幸せでモヤモヤしています。恋愛って辛いのかもしれない。
尊敬できる友人達に出会った
知り合いならこれまでにも何人もできましたが、尊敬できる友人ができたのは充実したと断言できるワーホリを過ごせたことの大きな要因だったと思います。
丁度、ハンスも同じような時期に帰国するということでサヨナラパーティをしたときに
と、
めちゃくちゃリンゴくれました。
ちなみに全部 違うブランド。いつも大麻吸ってふわふわしているヤツなだけあって、なんとなく感動が一塩といったところ。
イタリア人のテオには終始、デートの作法、エスコートの仕方などを事細かく教えてもらった。ニュージーランドで私を恋愛的に指導したのは間違いなく彼だった。
ドイツ人のテオは私が一番 話していて安心するような不思議なフィーリングで、笑うツボだったり、悩みどころだったり、興味だったりがこうも似通った人と出会うのは本当に運が良かった。パリピ属性をまったくもって持ち合わせないヤツ。
そのほかにも色々貴重な意見をもらえた日本人のサエさんやカナエさん、香港人のデイジーなどとの出会いもあった。Tinderで知り合った数人をも最後まで連絡を取り合ってたこともあった。それぞれ紹介すると長くなるので割愛。
1年目のオーストラリアに比べて何倍も多くの人と出会って、何人もの尊敬できる友人、異なった価値観をもつ人との縁を持てたのはこの上なく幸せなコトだったと思う。
観光はまったくできなかった(しなかった)
『南島には行かなかった』というと、大抵の人から『もったいない!行けば良かったのに!』と言われます。『旅行をまったくしなかった』というと『たくさん観光スポットあるのに!』とも。
しかし、まったく観光には興味がわかなかったので近隣、バスや車で1時間以上の観光地には全く行きませんでした。無論 良い景色のところにいったら感動はするんでしょうけど、ニュージーランドではなんとなく、人と話している方が新たな発見があったりして楽しかったです。
結果、大当たりで先述したように色々な人に出会えました。勿論、観光も素晴らしいことだと思いますので、機会があったら今後は積極的に参加しようと思います。
半年くらい仕事をしなかった
オーストラリアのファームで蓄えたお金があったので半年間は仕事をせずにワーキングホリデーを楽しみました。ん、ワーキングホリデーじゃなくって、ホリデーか。
結果、色々な洋書を図書館で読みふけることができたので語彙力がさらに高くなったり(日常生活では使えないレベルまで)、歴史的な知識もとてつもなく増えたと思います。
私的には外国人達と会話するうえで大事なのは知識だと思っています。そりゃ20歳とかのピチピチした女の子でしたら多少、いやかなりアホでも回りがチヤホヤするので必要ないでしょうが、紳士淑女として会話するにはある程度の知識が必要だと思いました。語彙力とか文法力以上に。
というのも、知識がない人との会話って繋がらない場合が多いんですよ。知識がある程度ないと見解も広がらない気がしますし。そりゃ女・男の話で1時間、2時間も話せる人種の人達はいいですけど、日本人の私的には厳しかったですし、なによりそんな環境に身を置きたくありませんでした。
そういうわけで地理や歴史などを改めて勉強したり、美味しいモノへのアンテナも高くはっていました。グルメの話は初対面の女性達との会話で楽しめましたし、地理歴史の話は初対面の男達との会話で役に立ちました。
テオが言っていた金言に
というのがありました。恋愛も楽しかったのですが、ウィットに富んだジョークを言うためにも、人に『こいつと話すのは無駄だな』と思われないためにも、会話の風呂敷を広げるためにも若い女ではない私にとって、世界史や地理、その他料理や美味しい店などを多面的に習うのは重要だと思いました。
総括 『私のニュージーランド ワーホリ』
まとめると、私のニュージーランドワーホリは紛れもなく充実したモノになりました。
後半は恋愛的なことに引っ張りまわされた感が否めないですが、なんともステキな毎日を送ることが出来ました。オーストラリアに比べるとニュージーランドは人口的にも街の規模的にも小さいですが、私としてはその分 色々な人と親密な関係を持つことになったと思います。
ただ、そんな人達との別れは勿論 寂しさを伴います。帯に短し襷に長し、というような1年という期間。離別も忘却もワーキングホリデーには付き物です。しかし何度繰り返しても慣れません。苦楽を共にした仲間や、この人となら と思った恋人との別れは言いようもなく切なく、未練や後悔を残してしまいそうなくらいに大きいです。
まぁ多分、そういうことが積み重なって人生の蓄積となり、様々な葛藤を乗り越えて一皮剥けたイイ男になるのでしょう。
なんにせよ、素晴らしいワーキングホリデーでした。